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■作品紹介
豊臣秀吉 朱印状 「爲御陣見廻 呉服帷子三再 御遣雖廿日到 來悦思食候 猶施薬院可 申候也 
No.1703102
豊臣秀吉

 朱印状

 「爲御陣見廻 呉服帷子三再
  御遣雖廿日到 來悦思食候
  猶施薬院可 申候也
  五月朔日(朱印)
  
   伊藤石見守殿へ 
   
 ※御陣見廻りの為、呉服帷子(かたびら)三
  再び御遣わし、廿日到来と雖も悦び思し
  めし候。 猶お施薬院申す可く候也。

 (陣中見廻りの為に呉服帷子を三枚、
  再び御送り下され、二十日の到着で
  はありましたが嬉しく思いました。
  なお施薬院(全宗)が述べてます。)
 紙本横55縦22.5 総丈横64縦100
 金襴装 箱入 
 1,350,000円

 豊臣秀吉(1537〜1598)
 戦国・安土桃山期の武将、尾張(愛知
 県)中村生、幼名・日吉丸、初名・木
 下藤吉郎、織田信長に仕え、羽柴秀吉
 と称する、各地を転戦し手柄をあげて
 近江(滋賀県)長浜に築城、本能寺の
 変に際して明智光秀を破り、遂に天下
 を統一した、大坂城を築城、検地、刀
 狩を実施し近世封建社会の基礎を確立、
 関白太政大臣にすすみ豊臣姓を賜った。
 慶長3年歿63才。
 
 伊藤石見守
 安土桃山、江戸初期の武将、名・長親、
 豊臣秀吉に仕え、天正10年より代官と
 して生野銀山を経営、銀山の繁栄を招
 いた、慶長9年には豊国神社に石灯籠を
 奉納している、石見守が生野に植えた
 朝倉山椒はのち徳川家康に献上された
 という。
拡大図
豊臣秀吉 朱印状 「爲御陣見廻 呉服帷子三再 御遣雖廿日到 來悦思食候 猶施薬院可 申候也  拡大
豊臣秀吉 朱印状 「爲御陣見廻 呉服帷子三再 御遣雖廿日到 來悦思食候 猶施薬院可 申候也  拡大